前回の起業物語はコチラ
起業物語1 ⇒起業から3年経った今
起業物語2 ⇒起業してからの泥臭い日々を誇りに思える今とその理由
起業物語3 ⇒芸術作品を創りたいと思ったことは一度もない。だから今がある
自分の傲慢さに気付くことの大切さ【起業物語4】
私が本当に好きだったのは、、芸術作品を創るでも趣味を仕事にするでもなく、
「自分が作ったものを、たくさんの人に喜んでもらえること、感動してもらえること、その結果、感謝してもらえて自分もハッピーになること」
だったんです。
これってよく聞く言葉、言葉としては、とてもシンプルです。
でも誰もがもつ原点。
でも、この原点にかえってそれを徹底的に追求して、自分が今していることにおとしこむために全力で切磋琢磨する。
これをするには、がむしゃらなだけじゃだめ、好きなだけじゃだめ、今やっていることを信じながらも、今やっていることを客観的に知ることのほうがはるかに大切だと気付いたんです。
「自分が作ったものを、たくさんの人に喜んでもらえること、感動してもらえること、その結果、感謝してもらえて自分もハッピーになること」
途中でその行動がフラフラと迷走しそうになります。迷走しそうになっていることにも気付いていない。
がむしゃらになって走っていれば走っているときほど気付かない。
それでも向き合えば、自分目線と他者目線、それをつきつけられる。
自分が今までしてきたこと、していること、の大きな葛藤もうまれる。
今の自分を否定することにもつながる。
こんな作品、どこにもないですよ!絶対感動してもらえますよ!名前入りの世界に一つなんです、しかもそれだけではないんです!!
と自分では、自信満々でも、フツウに商品としてだしても反応がない。
それを本当に必要としている人がどこにいるか、わかっているようでわかっていなかった。
「見ればわかってもらえる」という傲慢さに気付く。自分では、一生懸命したことでも思ったような反応がないことではじめて、本当に気付く。
趣味が趣味でなくなる瞬間はこういうところにあるのかもしれません。
流れが大きく変わりはじめたのは、「自分の好きなものをつくる、趣味を仕事にする」ともっと根底にある自分の本当の願い、「自分が作ったもの、したことを、たくさんの人に喜んでもらえること、感動してもらえること、その結果、感謝してもらえて自分もハッピーになること」との協調ポイントはどこか、頭に汗をかいて、それにしっかり向き合った時からでした。
少しの反応、変化、そこをキャッチできるか、目をそらすかそらさないか、自分の枠を一度は壊せるか、壊せないか、この大きなポイントが次のステージにいける、いけないのわかれめになることをこの3年間で大きく学びました。
- 2009/09/04 19:33:15